Jan.22,2019

1.17


私の家の眼下に広がるなぎさ公園でも毎年震災のメモリアルイベントが行われる。当時の炊き出しや地震の振動経験などいろいろと当時のことを忘れない催しが開かれているが、今年のイベントは少し参加者が少ない感じがした。


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地震で倒壊した六甲道駅=1995年1月17日
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地震で倒壊した六甲道駅=1995年1月17日
24年前を振り返る(左から)岩沢茂幸さん、岡本啓さん、志岐秀信さん=大阪市阿倍野区、奥村組
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24年前を振り返る(左から)岩沢茂幸さん、岡本啓さん、志岐秀信さん=大阪市阿倍野区、奥村組
崩壊したJR六甲道駅。懸命の復旧工事が続いた=1995年1月25日
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崩壊したJR六甲道駅。懸命の復旧工事が続いた=1995年1月25日
六甲道駅の復旧を描いたドラマに出演する井浦新さん(左)と野村周平さん(関西テレビ提供)
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六甲道駅の復旧を描いたドラマに出演する井浦新さん(左)と野村周平さん(関西テレビ提供)

 阪神・淡路大震災で線路とともに駅舎が倒壊したJR六甲道駅(神戸市灘区)。神戸線が寸断され、本格再建は2年を要するとみられたが、壊れなかった床と梁をジャッキで持ち上げる工法で74日後に再開させた。その復旧に従事した人たちを描いた関西テレビ制作のドラマが15日夜、全国放送される。「何としても大動脈をつなぐんだ」。使命感を胸に不眠不休の作業を続けた当時の担当者が24年前を振り返った。

 1995年1月17日の震災で同線のほか、並行する阪神本線や阪急神戸線も大きな被害を受け、東西の鉄路は寸断された。

 六甲道駅の被害はひどく、高さ10メートルの高架が約2キロにわたって倒壊。復旧工事にはゼネコン各社から人手が集められ、ピーク時には2千人以上に及んだ。大破した駅舎を含む難所約200メートルの区間を請け負ったのが奥村組(大阪市)だ。

 震災2日後に先陣で到着した当時の工事主任岩沢茂幸さん(59)は「駅が地中にめり込んだのかと思った」そうだ。工事責任者の岡本啓さん(69)は状況把握のため山側と海側を何度も往復したが「全く状況が理解できなかった」。

 余震が続く中、がれきなどを撤去。各店の盗犯対策にも神経を使った。骨組みが見通せたのは2月に入ってからだった。

 仮線路を敷いて駅を新設すれば最低2年はかかるが、JR西日本からは少しでも早い開通を求められた。幸い、線路を載せる床や梁が使える状態で残っており、元の高さまでジャッキアップする工法を採用した。

 梁1本は長さ約30メートル、重さ約1300トン。16台のジャッキを使い数センチ単位で上げた。工務主任の志岐秀信さん(64)は「均等に上げるのに細心の注意を払った。トンネルなどで困難な工事はあったが、常識外の作業だった」と明かす。損傷した高架は鉄筋を増やすなどして補強。3月31日、国の開業前検査をパスした。

 4月1日早朝、始発列車がホームに入った。住吉-灘間が開通、神戸線がつながった。「目に焼き付けたい」と前夜から現場に居残った岡本さん。「ここからが復興や」と思った。駅ビルを見上げると早期復旧に感謝する手書きの横断幕が掲げられていた。

 神戸方面に向かう時、岡本さんは今もあえて六甲道駅で下車する。コンコースやホームなどを眺め、「大丈夫やな。元気でやっとるな」と語り掛けるそうだ。

 関西テレビ60周年特別ドラマ「BRIDGE はじまりは1995.1.17神戸」は15日午後9時から放送。岡本さんをモデルにした工事所長を俳優の井浦新さんが演じるほか、野村周平さん(神戸市出身)、葵わかなさん、椎名桔平さんらが出演する。

(竹本拓也)

六甲にお住まいの栄光教会のジュニアチャーチでの私の教え子の方がどうやらこのドラマにも出られたようで、カンテレの60周年記念作品を見る機会があった。DVDに録って兄弟たちにも送ってあげたが、確かに大変な出来ごとだったし、六甲道とはいわず灘や東灘は父母が暮らしていたがこの震災で致命的な被害に遭い、私や弟の光司は毎日家族の皆でその整理や引っ越しの手伝いに駆け回った。大阪から駆け付けた私たちは阪神電車青木駅から歩いて岡本や六甲へ瓦礫の中を歩いて向かったし、JRが復旧してからはどんなに楽になったか計り知れなかった。そうした震災の六甲道駅復旧のこのドラマは見ていてその当時を思い起こさせた。ドラマのその通りの六甲道周辺が今も思い出されるが当時の資料がカンテレに残っていたのでドラマでは当時と今とが上手くオーバーラップ出来ていて良く出来たドラマだった。

 

BRIDGE 

 

A forecast map released by Japan Meteorological Corp. shows when cherry trees are expected to start blooming across Japan. | JAPAN METEOROLOGICAL CORP.

National

Cherry blossoms in Japan are predicted to arrive earlier than usual again in 2019

by Magdalena Osumi Staff Writer

Last year, spring arrived surprisingly early across the country, with buds starting to appear in Tokyo on March 17.

In this year’s forecast, released Thursday, Japan Meteorological Corp. announced the blossoming in Kochi is likely to be followed by early flowering in Fukuoka, where blossoms are due to emerge on March 20.

Soon after that, sakura flowers will begin to bloom in the cities of Tokyo and Nagoya on March 22, in Kyoto on March 25 and Osaka on March 27.

The firm has concluded that relatively warm temperatures throughout the country over the months since October have delayed the trees’ dormancy period, which allows sakura buds to survive the winter. But the delay to the start of the dormancy period is not expected to affect blooming, and the warm weather could even speed up the blooming process.

According to the forecast, cherry trees will be in full bloom in Kochi on March 25, and in Tokyo and Fukuoka on March 29.

The firm has also said the last weekend of March will offer the most enjoyable cherry blossom viewing in Tokyo, Kyushu and the Tokai region, and that the first weekend of April will be the best time for picnics under sakura trees in the Kinki region and other parts of Shikoku, as well as other places in the Kanto region.

In northern parts of Japan, spring arrives a little later. In Sendai and other parts of Miyagi Prefecture, cherry blossoms are expected to be seen on April 9. The first buds are due to appear in Aomori Prefecture on April 24, and on May 4 in Hokkaido.

The forecasts cover about 1,000 locations across the country. They are based on data derived from studying the blooming characteristics of the Somei-Yoshino tree — the most common type of sakura tree, known for its pale pink flowers.

The forecasts, together with updates on cherry blossoms blooming and famous spots for sakura viewing across the country, are available in Japanese, English and Chinese at the company’s website, at n-kishou.com/corp/news-contents/sakura/?lang=en

 

※ 第160回 2018年 ( 下期 ) 受賞者は真藤順丈 「宝島」 ( 講談社 )

 

86歳、冒険野郎の挑戦、断念無念!!


稀勢の里が引退会見「土俵人生において、一片の悔いも残っていません」

わたしの父のお墓がある

肥前浜 のこと

 

 新聞を見ていてふと目が止まった。「肥前浜の酒蔵巡り」というツアーがあるようだ。肥前浜というと私にとっては懐かしい想い出が残る場所だ。私は神戸で生まれて父の勤務で中国旅順に移り住み、引き上げて西宮、そして疎開で父の故郷の佐賀県鹿島市浜町に住み、5歳から6歳までの短い間浜で暮らした。小学校に入学する時福岡に移り高校の時に神戸へ帰りそして京都の同志社で学び、就職して大阪に住んだ。結婚して戸籍を佐賀の浜に移して退職して神戸に住む時まで佐賀県鹿島市に戸籍を置いたのは、私が池田の長男でその記録を残した方が良いと思ってずっとそこに戸籍を置いた。父が亡くなってから彼の希望で故郷の鹿島のお寺に納骨し、それ以来度々墓参りで浜を訪れている。新幹線で博多まで行き、在来線の特急かもめに乗り換えて鹿島まで5時間余りで行けるので日帰りが多い。今年も春には行かねばと計画しているが、以前にはテレビの番組作りの仕事でお手伝いしたテレビ長崎のアナウンサーの小間さんをも訪ねて長崎に泊まってから出かけたこともあるが、このところは日帰りが多い。近くには有名な嬉野温泉があり、一度は泊まろうと思いながらなかなか実現せず、車で行く途中の下関で泊まったりして、嬉野には縁がない。鹿島は農業と漁業ののんびりした田舎町で浜が面する有明海は干潟で有名でムツゴローやワタリガニが有名、牡蠣も美味しい。ガタリンピックという干潟のイベントも有名だ。ミカンや米も採れて美味しいが、お酒がまた美味い。昔から酒の産地として知っていたがこの新聞で観光ツアーまであるとは知らなかった、酒蔵が続いている町とは。近くには日本三大稲荷神社の祐徳稲荷神社があるが、そこへアメリカに住む弟正徳と甥の圭太と一緒に里帰りで出かけたことも懐かしい想い出として残る。私にはここでの思い出にいろいろあるのだが、終戦の時に畑で遊んでいて近くの長崎に原爆が投下され、きのこ雲が上がったのは今も頭に深く残っている。小学校を福岡で高校から神戸に戻って大学は京都の同志社そして就職して大阪暮らしと、私の一生は転々とした人生だった。新聞広告の記事を読みながらいろんなことがふと頭に浮かんだ。